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参政党やめました!まるで北朝鮮!神谷独裁体制がヤバい理由!

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目次

参政党やめました!その理由は“神谷独裁体制”だった?

参政党に期待して入党したけれど、実際には想像以上に一方通行な組織運営に驚いたという声が目立ちます。
表向きは「日本を変える市民政党」と掲げながら、内情は神谷宗幣さんの意向が強く反映される“独裁体制”だったと語る元党員も少なくありません。

ここでは、なぜ「独裁」と言われるのかを具体的に掘り下げていきます。

元支部長が語る「一般党員は兵隊」発言の真意

元参政党の田中さん(仮名)はこう話します。

「支部長になって初めて党の規約をちゃんと読み込んだんですが、これはちょっと…って思いました。
一般党員には議決権がないし、運営に関われるのは『運営党員』以上の人だけ。
年会費は1万2000円も払ってるのに、“兵隊”みたいに扱われてて違和感しかなかったですね」

特に問題視されているのは、「ボードメンバー」が互いを選出し合い、解任には“5分の4の反対が必要”という異常に高いハードル。
この仕組みでは、どんなに不満があってもリーダーを変えることができません。

表向きは市民の声を反映する民主的な党、でも内側は徹底したピラミッド構造。
そのギャップが、辞める人たちの一番の違和感になっているようです。

ちなみに筆者は昔ブラック企業で働いていたことがありますが、当時の社長と神谷さんは8割がた雰囲気やその他特徴が似ていてビックリしてます。

当時の同僚からも、あの時の社長と似てるよね、ってラインも来ます。

「異論を排除」の実態と“忠誠テスト”的な規約内容

改めて田中さんはこう続けます。

「党内で『神谷さんのやり方、少し極端じゃないか?』って声が出たんですよ。
でもそういう人たち、ほとんどが役職から外されたり、フェードアウトしていったんです」

地方の支部でも、これまで献身的に活動していた支部長やリーダーが、突然“忠誠心が足りない”という理由で降ろされるケースが相次いでいました。
まるでトップの考えに従順な人だけが生き残れる、そんな空気に耐えきれず、田中さん自身も退いたそうです。

さらに、規約には党内のあらゆる権限が「ボード」と呼ばれる少人数の集団に集中していることが明記されています。
意見や提案は受け付けるように見せかけて、実はその多くが門前払い状態。
形式的には民主的でも、実態は「忠誠度テスト」みたいな運営になっていたという声も多いです。

まるで北朝鮮?参政党の“上意下達”体質とは

参政党の組織構造が「北朝鮮的」と言われるのは、トップダウンの命令体制が強く、現場の声がほとんど上に届かないという点にあります。
理念に共感して入党したものの、やがてそのギャップに苦しんだという声が多く見られます。

ここでは、なぜそのような強い言葉で批判されるのかを具体的に見ていきましょう。

神谷宗幣の指示がすべて、支部はただの末端?

田中さんは、支部の運営が実質的に「指示待ち」になっていたと振り返ります。

「自分の支部で何か企画をしようとしても、まず本部に“許可”を取らないと動けなかったんです。
自発的に動いたら、“勝手なことをするな”と指摘されることもありました」

本来は地域ごとの自由な活動が強みになるはずの政党ですが、参政党ではそうした動きが制限されていたようです。
「支部は本部の下請け」という認識が強く、地域の声を反映させようとすると、むしろ疎まれることすらあったといいます。

結果として、支部長たちは「何をすれば怒られずに済むか」ばかりを気にするようになり、地方組織の活力が失われていったといいます。

次に紹介するのは、この“トップに逆らえない構造”をつくっていた根本原因ともいえる「5分の4ルール」についてです。

「5分の4ルール」とは?ボードメンバーの解任が不可能な理由

参政党の規約には、「ボードメンバーの解任には、ボードメンバー全体の5分の4以上の賛成が必要」と明記されています。
これは一見すると民主的に見えますが、実質的にはほぼ解任不可能な構造です。

「どんなに不正や疑念があっても、“身内”同士でかばい合っていたら、誰も責任を取らない。
これはもう、組織として機能していないですよね」と田中さん。

この構造が“神谷さんを頂点とするピラミッド”を固定化し、あらゆる決定がボードから降りてくるだけという現状につながっているのです。
その結果、党内で反論や再考の余地がなくなり、「異論は敵」という空気が漂うようになったとの声も多く見られます。

次は、このような“上意下達”の構造が、なぜ「洗脳的」「宗教っぽい」とも評されるのかを掘り下げていきます。

「洗脳」や「宗教っぽい」と言われる理由とは?

参政党を離れた人たちの中には、「まるで宗教みたいだった」と語る人も少なくありません。
信念を共有する仲間同士の連帯感が、やがて“異論を封じる空気”に変わっていったという証言も多く、洗脳的な構造を感じたという声もあります。

ここでは、そうした声がなぜ生まれたのかを掘り下げていきます。

参加必須のセミナーと、党員の“自己啓発モード”

「セミナーがあまりにも多すぎたんです。
しかも、党員として“ちゃんと参加するのが当然”みたいな空気があって、断りづらかったですね」と田中さん。

こうしたセミナーでは、神谷宗幣さんの講演や思想に触れる場が設けられ、「共鳴」や「気づき」といったワードが繰り返されていたといいます。
もともと熱量の高い支持者が多い参政党だけに、「気づいた人が世の中を変える」という前向きなメッセージに心を動かされた人も多かったようです。

しかし、その前向きな空気が次第に“疑問を口にすることは後ろ向き”とされ、批判や意見を出しにくくなっていったとのこと。
「参加してるうちは夢中なんです。でも、冷静になると“これ、自己啓発セミナーと同じじゃ?”って気づく」と語る声もありました。

次は、そんな“情熱的な一体感”が逆に抜け出しづらくなる要因にもなっていたという点について解説します。

やめたくてもやめられない“情の縛り”が危ない

参政党を離れる決意をしたあとも、田中さんは何度も「これでいいのか」と自問したそうです。

「応援してくれてた人たちに申し訳ないとか、一緒にがんばった仲間に裏切りと思われるんじゃないかとか、気持ちの整理が難しかったです」

参政党の大きな特徴は、政治活動という枠を超えて、家族のようなコミュニティを築くところにあります。
だからこそ、一度その中に入ると、人間関係や情が強く作用して、簡単には抜けられない。

「神谷さん個人のカリスマ性が強すぎて、“神谷さんの言葉は正しい”って空気がすごかった。
反論すると“わかってない”と決めつけられる。
気づいたときにはもう、外から見たら完全に信者だったと思います」と語る元党員もいました。

このような構造が、「洗脳」「宗教っぽい」と表現される大きな理由のひとつと言えるでしょう。

次は、参政党が掲げていた政策が「中身がない」と批判される理由に目を向けていきます。

政策に中身がない?参政党の「カタログ」に見える違和感

参政党は「子どもを守る」「教育を変える」「安心できる国づくり」など、共感を集めやすい政策スローガンを掲げてきました。
しかし、実際に党内で活動していた人たちからは「中身が薄い」「広告のコピーみたい」といった声があがっています。

ここでは、そうした違和感がどこから来るのかを分析します。

「安心できる国づくり」と言いながら内容が空っぽ?

田中さんは、最初に配布された「政策カタログ」に期待して読んだものの、具体性のなさに驚いたと言います。

「言ってることは立派なんです。子どもを守る、教育を良くする、日本の文化を大事にする…。
でも“じゃあ具体的にどうやって?”っていうところが、ほとんど書いてないんですよね」

実際、多くの政策は「方向性」の提示にとどまり、財源の確保や法制度の具体的な手段については触れられていません。
表現のほとんどが抽象的で、スローガン的な内容に留まっていたため、政策に興味のある党員ほど不信感を抱いていったようです。

次のセクションでは、こうした「意見が反映されない」体験が、党員の間にどんな不満を生み出したのかを見ていきます。

党員の声を反映していない“広告コピー”みたいな政策文書

「地元の子育て支援について提案したことがあったんですけど、“それはうちの方向性じゃない”って一蹴されてしまいました」と田中さん。

支部や地方の声を吸い上げて国政に届けるのが政党の基本的な役割。
ところが、参政党では党本部の示すスローガンに沿わない意見は受け入れられづらい空気があったとのこと。

さらに、「“参政党らしい言葉”で言ってほしい」と繰り返し指導されたという証言もあり、自由な発言よりも“ブランドに従う姿勢”が重視されていたようです。

こうした一連の流れが、「広告みたいな政策文書しか出せない」「信者ビジネスに見えてしまう」という批判につながっているのかもしれません。

続いては、こうしたギャップに気づきながらも夢を追い、結果として離党に至った元党員の本音に迫ります。

本当に参政党で革命は起こせたのか?

参政党が掲げた「静かな革命」というスローガンに胸を打たれ、政治に初めて関わったという人も多くいました。
しかし、実際に中に入って活動する中で「これは違うかも」と気づき、離れていく人も少なくなかったのが現実です。

この章では、理想と現実のギャップに直面した元党員の率直な声を紹介します。

「静かな革命」と夢見た元党員のリアルな後悔

田中さんは「政治を変えたい」という気持ちから、参政党に希望を託したひとりでした。

「自分も“おかしいことをおかしいと言える社会にしたい”と思ってたんです。
でも、参政党の中では“おかしい”と声を上げること自体がタブーになってました。
これは外の世界と同じ、いや、それ以上に閉鎖的かもしれないと思った瞬間がありました」

最初は仲間との一体感が心地よく、「このチームで革命ができる」と信じていた田中さん。
でも、意見が許されず、疑問を持つと排除される空気に疑問を感じ、離党を決意したそうです。

次のセクションでは、離党してようやく見えてきた参政党の“本当の姿”と、それを「信者ビジネス」と呼ぶ理由について解説します。

離党後に気づいた“信者ビジネス”構造の正体

田中さんは、参政党を離れてから「なぜあれほどまでに活動にのめり込んでいたのか」を冷静に分析するようになりました。

「今思えば、すごくよくできた構造だったと思います。
“気づいた人だけが真実を知ってる”という前提で話が進むし、
活動すればするほど“自分だけが正しい側にいる”って思い込むようになるんです」

多くの人がセミナーや集会に自費で参加し、グッズや書籍を購入し、SNSで拡散に努めていた実態は、まさに熱心な信者と同じ。
「こういう形でお金とエネルギーが吸い取られていく仕組みだったのかも」と語る田中さんの表情には、少し悔しさも滲んでいました。

それでも、彼はこう締めくくります。
「一度騙された経験があるからこそ、今後はもっと自分の頭で考えて判断できるようになったと思います」

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