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オジー・オズボーンが76歳で死去!死因や経歴など!“メタルの帝王”の壮絶な闘病と最期の舞台裏!

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目次

オジー・オズボーンが76歳で死去!“メタルの帝王”の最期に世界が涙

世界中のロックファンに衝撃が走った、オジー・オズボーンさんの訃報。
“メタルの帝王”と称された存在が76歳で亡くなったという事実に、SNSは悲しみと追悼の声であふれました。

ここでは、死因や最期の時間、家族との関係について詳しく紹介していきます。
そして、学生時代にメタルバンドに所属していた筆者の視点からも、少しだけ想いを添えてみました。


死因はパーキンソン病?家族に見守られた最期の時間

オジー・オズボーンさんの死因は、長年闘ってきたパーキンソン病によるものと見られています。

2019年に病気を公表して以降、本人も家族も病気と向き合いながら過ごしてきたそうです。
公式の声明によれば、亡くなったのは2025年7月22日の朝。家族に見守られながら、静かに旅立たれたとのことです。

筆者も大学時代、メタルバンドサークルに所属していた時期がありました。
その頃、多くのメタルのコピーバンドが「No More Tears」を熱唱しながら、どれだけ声が枯れてもシャウトしたくなるくらいオジー・オズボーンさんのエネルギーに魅了されてました。

あの激しいステージパフォーマンスと、狂気すら感じさせる存在感。
まさに「生きるロック」そのものでしたよね。

そんなパワフルなオジー・オズボーンさんが病気で徐々に動けなくなっていく様子は、正直、受け入れるのがつらかった人も多いはず。
だけど最期は、奥様のシャロンさんや子どもたちに囲まれて、きっと安らかだったと思います。


SNSでの追悼コメントとファンの反応

オジー・オズボーンさんの訃報が報じられた直後、SNSは文字通り“メタルの祈り場”と化しました。

X(旧Twitter)では「#OzzyOsbourne」「#RIPOzzy」がトレンド入りし、ファンやミュージシャンたちからの投稿が次々と。
「あなたの音楽が人生の指針だった」「もう一度ライブで叫びたかった」など、世界中の“ヘッドバンガー”たちが胸の内を綴っています。

筆者もひとつだけ正直に言わせてほしいんですけど、訃報を見た瞬間、電車の中で涙腺崩壊しました…。
バンド仲間と「コウモリ事件ってマジだったんだよね⁉︎」なんて笑いながら語ってた思い出が一気によみがえって。

メタルって、ただのジャンルじゃなくて“生き方”だったんですよね。
その中心にいたのがオジー・オズボーンさんだったからこそ、彼を失った喪失感は想像以上でした。

いやほんと、ロックってここまで心を動かすんだなって、改めて実感しました。

次は、その最期を飾ったステージの様子を追っていきます。
座って歌った“魂のラストライブ”がどんなものだったのか、覗いてみましょう。


壮絶だった闘病生活と最後の公演!ステージに懸けた魂の叫び

パーキンソン病と闘いながらも、オジー・オズボーンさんは音楽の火を消すことはありませんでした。

ここでは、ラストステージとなった2025年7月のバーミンガム公演の様子と、病との闘いの日々を紹介します。


椅子に座って歌いきった「Back to the Beginning」

2025年7月5日、イギリス・バーミンガム。
オジー・オズボーンさんの「Back to the Beginning」というタイトルのラストライブが行われました。

体力的な制約から、ステージ中央の椅子に座ったままのパフォーマンス。
でも、その目の奥は昔と変わらぬ“狂気とカリスマ”を放っていたと、現地メディアも報じています。

筆者もそのライブ映像を何度も見返しましたが、あれはもう“神々しさ”の域でした。
「Crazy Train」では観客のシンガロングがまるで賛美歌のようで、鳥肌が止まらなくて。

ラストに「Mama, I’m Coming Home」を歌い上げた瞬間、涙を拭くスタッフの姿がスクリーンに映し出されたのが、忘れられません。

まさに、命の最後の火花をステージに刻みつけた時間でした。


2020年のパーキンソン病公表から引退までの道のり

2020年1月、オジー・オズボーンさんはパーキンソン病を患っていることを世界に公表しました。

それまでにも怪我や持病で活動は制限されていたのですが、病名を明かしたことで、逆に“ロックスターの覚悟”を見せたように感じました。

2023年にはツアー引退を宣言。
それでも完全に音楽を手放すことはせず、スタジオワークやコラボ活動は継続していたのです。

思い返すと、メタルサークルの仲間と「オジーまだいけるよね!?」なんて言い合いながら、彼の新曲を追いかけてました。

命の尽きるその時まで音楽に向き合った姿勢に、心から敬意を表したいと思います。

次章では、オジー・オズボーンさんの原点、“ブラック・サバス”での伝説を紐解いていきます。


“ブラック・サバス”から始まった伝説のキャリア!

「ブラック・サバスって何?」と若い人に聞かれると、つい熱く語りすぎちゃうんですよね…。

オジー・オズボーンさんのキャリアは、ここから始まりました。


ブラック・サバス時代の活躍とメタル界への影響

1970年、バンド「ブラック・サバス」のボーカルとしてアルバム『Black Sabbath』でデビュー。
当時の音楽シーンに衝撃を与えた“暗黒のサウンド”は、のちのヘビーメタルの礎になったといっても過言ではありません。

「Paranoid」「Iron Man」「War Pigs」など、筆者もコピーしまくった名曲が目白押し。
特に「Paranoid」のベースラインは、初心者泣かせでありながらバンドマンの登竜門みたいなものでした。

重厚で陰鬱なサウンドに、オジー・オズボーンさんの不気味さ全開の歌声が合わさると、もうそれだけで世界が変わる感じなんです。

“メタルはここから始まった”と胸を張って言えますね。


ソロ転向後の快進撃と代表曲たち

1978年にブラック・サバスを脱退後は、ソロとして大成功。

「Crazy Train」「No More Tears」「Mr. Crowley」など数々のヒットを連発し、1980〜90年代のメタル界を牽引しました。

個人的に一番刺さったのは「Bark at the Moon」。
ボーカルもギターもアレンジも、すべてに“獣感”があって最高でした。

プロレスラーが入場曲に使うことも多くて、会場が一気にアガるんですよね(笑)

ソロになってからのオジー・オズボーンさんは、「帝王」というより“狂気のカリスマ”とでも言うべき存在でした。

続いては、そんな狂気を支えた家族たちとの関係にフォーカスしていきます。


家族構成やリアリティ番組「オズボーンズ」で見せた素顔

ステージでは悪魔じみていても、オフでは意外とお茶目。
そのギャップを世に知らしめたのが、リアリティ番組「オズボーンズ」でした。


妻シャロンや3人の子供たちとの関係

オジー・オズボーンさんの妻はマネージャーも務めたシャロン・オズボーンさん。
2人は公私ともに強い絆で結ばれていて、闘病中も常にシャロンさんが支えていたそうです。

子どもは3人。長女エイミーさん、次女ケリーさん、長男ジャックさん。
みんな番組にも出演していたので、ファンにとっては“知り合いの家族感”すらありましたよね。

筆者も録画して何度も観たんですが、あの番組の面白さは異常。
オジー・オズボーンさんが掃除機かけながらブツブツ文句言ってるだけで最高でした(笑)


「オズボーンズ」で見せた家族の日常と人気の理由

「オズボーンズ」は、2002年からMTVで放送された家族密着型のリアリティ番組。

内容は完全に日常。でも、そこに“メタル界の帝王”がいることで、全く別物になってました。

トイレの場所がわからなくてシャロンさんに怒られるオジー・オズボーンさんの姿とか、最高のギャップ萌えでした。

あの番組がなければ、彼の人間味や家族への愛は伝わらなかったかもしれませんね。


オジー・オズボーンが残した功績と音楽界への影響とは?

最後に、オジー・オズボーンさんが残していった功績を振り返りましょう。


グラミー賞やロックの殿堂入りの栄光

音楽活動の中で、グラミー賞はなんと5回受賞
ソロでもバンドでも“金字塔”を打ち立てた存在です。

2024年には晴れて「ロックの殿堂」入り。
これは、メタル界の象徴としての存在がいかに大きかったかを示す勲章でもありますね。


後世に受け継がれる“メタルの帝王”の遺産

オジー・オズボーンさんが残したのは、音楽だけではありません。

「挑戦し続ける姿勢」や「自分のスタイルを貫く強さ」は、これからのアーティストにも受け継がれていくでしょう。

筆者も、これからも彼の曲を歌い続けていくつもりです。

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