「乙坂智(おとさか とも)って、どんな選手なの?」
そんな疑問を持ったあなたに、この記事では彼の知られざる“波乱万丈すぎる野球人生”をご紹介します!
実は乙坂選手、父はアメリカ人・母は日本人のハーフで、本名は「乙坂・ルーセロ・智・ニコラス」。
DeNAで“代打の切り札”と称され、戦力外から海を渡ってメキシコ、アメリカ、ベネズエラと3カ国でプレー。
そしてついに、2025年にマリナーズと契約!
この記事では、そんな乙坂選手について、ありとあらゆる角度から深掘りしていきます。
40代の筆者ならではの視点も交えながら、
ちょっとユーモアも添えて、読みやすくまとめました。
野球ファンはもちろん、何かに挑戦したいすべての人に読んでほしい内容になってます!
ぜひ最後までチェックしてみてくださいね⚾
乙坂智はハーフ?父のルーツと本名に込められた意味
乙坂智選手は、日本人離れした彫りの深い顔立ちが印象的なプロ野球選手です。
実はその理由、しっかりルーツにありました。
なんと乙坂選手、アメリカ人のお父さんと日本人のお母さんを持つ“ハーフ”なんです。
横浜生まれの乙坂選手、本名は「乙坂・ルーセロ・智・ニコラス」。
もう、名前だけでアニメの主人公っぽいカッコよさですよね。
ちなみにあだ名の「ニコ」は、この“ニコラス”から取られたもの。
てっきり「ニコニコ笑顔」から来たのかと思っていたのですが、違いました(笑)
ちなみに私、仕事でSEをやってるんですが、名前のインパクトってデジタル業界でも案外大事でして。
たとえば「クラウドネイティブ吉田」とかいたら、ちょっと会いたくなりません?
乙坂選手の“ニコラス”も、完全に覚えやすさ満点でファンの心を掴んでますね。
では次に、その乙坂さんが青春時代を過ごした“横浜高校”について見ていきましょう!
横浜高校で主将を務めた高校時代のエピソード
乙坂智選手は、神奈川県の名門・横浜高校で高校野球生活を送りました。
しかも3年時にはキャプテンまで務めたというから、その信頼度の高さがうかがえますよね。
横浜高校といえば、松坂大輔さんや筒香嘉智さんなど、数々のスターを輩出してきた“野球エリート工場”。
そんな中で1年の秋からレギュラーを掴み、チームを引っ張っていた乙坂さん。
なんと、同期には今や日ハムの安打製造機・近藤健介さんもいたんですよ!
ちなみに筆者ですが、学生時代に「班長」すらまともにやれなかったタイプでして……
それに比べて、乙坂さんの「主将→プロ→MLB」って流れ、もうバージョンアップの鬼です。
高校時代から“自分よりもチーム優先”って姿勢だったそうで、
まさにリーダーシップのテンプレみたいな存在だったんじゃないでしょうか。
そして高校最後の夏は、甲子園にも出場!
青山大紀投手を擁する智辯学園に敗れてしまったものの、乙坂さんは9打数4安打としっかり活躍。
やっぱり勝負強さはこの頃からピカイチだったんですね。
そんな黄金期を過ごした横浜高校時代の経験が、プロでの“代打の切り札”としての強心臓につながったのかもしれません。
では次に、DeNAベイスターズ時代にスポットを当ててみましょう👇
DeNAベイスターズでの成績と「戦力外」までの真相
乙坂智選手は2011年のドラフトで横浜DeNAベイスターズから5位指名を受けて入団。
プロとしてのキャリアをここからスタートさせました。
プロ入り当初は2軍生活が続きましたが、2014年に念願の1軍デビュー。
しかも初打席で初ホームランというド派手なスタート。これはインパクト抜群でした!
2015年以降は外野の一角として出場を増やし、
代打や守備要員として、試合の終盤にキラリと光るプレーを見せてくれました。
特に2019年、阪神とのクライマックスシリーズで放ったサヨナラホームランは
今でも「代打の切り札」としての代名詞的な名場面です。
勝負強さはピカイチ。代打で得点圏打率.382って、正直すごすぎです。
私もたまに「スーツで社長プレゼン」という代打的シチュエーションありますけど、
その確率で成功してたらもう役員です(笑)
しかし、華やかな面ばかりではありませんでした。
2021年には打撃不振やチームルール違反(深夜のクラブ出入りなど)もあり、
球団から厳重注意・自宅謹慎処分を受けてしまいます。
その影響もあってか、シーズン終了後には“戦力外通告”。
プロとして10年近く在籍したDeNAを離れる決断を余儀なくされました。
でも乙坂選手は、ここからがすごかったんです。
海外へ活路を見出し、まさにゼロからの挑戦を始めたんですよ。
乙坂智が語るメキシコ生活と“野球で生きる覚悟”
乙坂智選手が日本を離れ、最初に挑戦したのがメキシコでした。
しかもいきなりメキシカンリーグの強豪「レッドデビルズ」に入団!
…だったのですが、まさかの開幕直前に戦力外通告。
野球人生、ほんとに一寸先はパッション(情熱)とカオスです。
そこから乙坂選手は、「自分を拾ってくれたチームのためなら体が壊れてもいい」
という覚悟で新天地・レオン・ブラボーズへ。
そして1ヶ月半でまたトレード、さらにサラペメーカーズへと移籍。
まさに「野球版:桃鉄〜地獄編〜」状態ですね。
ですがここでの乙坂選手、すごいんです。
出場78試合で打率.367、盗塁26と圧巻の成績を残し、
盗塁数ではキャリア初の“盗塁王クラス”に!
ちなみにSE的に言うと、この盗塁って「短時間で最大成果を出す戦術的アクション」なんですよね。
で、乙坂選手は「自分ができることだけに集中する」って切り替えて、
この“武器”を磨きまくったんです。
これは業界問わず、本当に見習いたい生き方だと思います。
メキシコの治安や文化の違い、生活の不便さ(お湯が出るだけで感謝)など、
普通なら心折れそうな環境でも、乙坂選手は前向きに順応していきます。
ときにはナタを持ったおじさんに自転車で追いかけられたり(ガチ)、
異文化の洗礼も受けつつ、乙坂さんは「主語を“日本”から“こういうこともある”に変えた」と語っていました。
…もうメンタルのOSアップデートですよ、これ。
そんな激動のメキシコ時代を経て、乙坂さんはさらに高みを目指します。
ついに2025年、マリナーズとの契約を勝ち取るまでに至るのです👇
MLBへの挑戦とマリナーズ契約までの道のり
乙坂智選手は、メキシコだけでなくアメリカ、ベネズエラでもプレーを続け、
「野球で世界を渡る男」として挑戦を続けました。
2023年にはアメリカ独立リーグ「ヨーク・レボリューション」に入団。
ここで打率.330、盗塁42というまさに“走れるハイアベレージマン”に進化!
ちなみにこの盗塁数、リーグ2位。しかもゴールドグラブ賞まで受賞しています。
まるで「盗塁界のビッグモーター」くらい隙のない活躍っぷり(たとえ微妙ですみません)。
その後もベネズエラのウィンターリーグで2年連続盗塁王を獲得し、
まさに「走り続けた男」として実績を積み上げていきます。
2025年には再びヨークと契約。
そして、ついに!
同年5月、MLBの名門・シアトル・マリナーズとマイナー契約を締結!
いやもう、これSEの世界なら「フリーランスからいきなりGoogleに転職」みたいなもんですよ。
本当にすごいキャリアアップです。
乙坂選手がここまでたどり着けたのは、
「明日も野球をするために、今日を全力で生きる」という覚悟があったから。
派手なホームランよりも、地味で地道な盗塁や守備、走塁に全力を注ぐその姿勢。
見習うべきはプレーだけじゃなく、その“働き方”かもしれませんね。
乙坂智にまつわる素朴な疑問Q&A
Q: 乙坂智さんはなぜメキシコを最初の海外挑戦の場に選んだの?
A: もともとウィンターリーグでの経験があり、縁があったからです。本人いわく「最初に声をかけてくれたチームに恩があった」とのこと。そこから現地での挑戦が本格的にスタートしました。
Q: なぜ盗塁王になれたの?そんなに足が速かったの?
A: 50メートル走5秒9の俊足に加え、自分の強みを徹底的に磨いたことが理由です。日本にいた頃は「できないことをやろうとしていた」そうですが、海外では「できることを極める」にシフトしたのが大きな要因でした。
Q: マリナーズとはメジャー契約なの?すぐMLBの試合に出られるの?
A: いいえ、2025年5月時点では“マイナー契約”です。ですが、成績次第でメジャー昇格のチャンスも十分あります!いわば今は“控室に片足突っ込んだ状態”です。
Q: ハーフって本当?見た目だけで言われてるんじゃ…?
A: 本当です!お父さんはアメリカ人(元アイスホッケー選手)、お母さんは日本人。名前も「乙坂・ルーセロ・智・ニコラス」としっかりハーフのルーツが刻まれています。
Q: メキシコやベネズエラって危なくないの?生活できるの?
A: 実際に治安が不安な場面もありましたが、乙坂さんは「日本が安全すぎるだけ」「いい意味で鈍感になることも大事」と語っています。順応力の高さが活躍の秘訣かもしれませんね。
まとめ
今回の記事では、乙坂智さんの人生と野球キャリアについて深掘りしてきました。
以下にポイントを簡単に整理します👇
🔍 要点まとめリスト
- ハーフ選手として注目されるルーツ:父はアメリカ人で本名は「乙坂・ルーセロ・智・ニコラス」
- 高校時代は横浜高校の主将:近藤健介さんと同級生でチームを牽引
- DeNA時代は“代打の切り札”として活躍:クライマックスシリーズでサヨナラHRの記憶も
- 戦力外から海外挑戦へ:メキシコ→アメリカ→ベネズエラとキャリアを積み上げる
- 盗塁王として覚醒:強みを磨いて生存戦略に成功
- 2025年にマリナーズと契約:マイナー契約ながらMLB入りへの扉を開く
乙坂智選手のストーリーは、ただの野球人生にとどまらず、
「逆境をどう生き抜くか」「自分の強みをどう活かすか」という点でも多くの学びがあります。
今できることを全力で、地道に、着実に。
それが一番シンプルで一番難しい。でも、乙坂さんはそれをやってのけました。
この記事を読んで「よし、自分も頑張ってみよう」と思えたなら、
それが一番のホームランかもしれません!