永守重信のプロフィール|年齢・出身地・肩書きは?

ニデック創業者として名を馳せる永守重信さん。
1944年生まれの大ベテランで、2025年時点ではなんと81歳です。
出身は京都府向日市。
いわゆる“町工場の親父”みたいなキャラとは少し違って、経営の世界では「熱血カリスマ」の異名を持つ存在。
しかもニデック(旧:日本電産)という世界的な企業のトップとして、今もバリバリの現役なんだから驚きですよね。
永守重信の基本プロフィールまとめ
まずはざっくりとした基本情報から。
- 名前:永守重信(ながもり しげのぶ)
- 生年月日:1944年8月28日(81歳)
- 出身地:京都府乙訓郡向日町(現・向日市)
- 最終学歴:職業訓練大学校 電気科(現・職業能力開発総合大学校)
- 現在の肩書き:ニデック株式会社 代表取締役会長 兼 CEO
- その他:学校法人永守学園 理事長/永守財団創設者
システムエンジニアとして日々アップデートに追われてる立場から見ると、80歳を超えてこの情報量と肩書きは“化け物クラス”。
いや、冗談抜きで、40代の自分でもちょっと引くレベルのスタミナです。
というのも、永守さんの名言のひとつに「1日16時間働くのが普通」というものがあるんですよ。
うちのチームがそんな働き方したら、全員バックエンドごと落ちますね。
現在の肩書きと活動内容とは?
肩書きの数にも圧倒されるけど、実際の活動量もえげつないです。
ニデックでは再びCEOに復帰して、M&A戦略をガンガン進めています。
「買収王」なんて呼ばれるほどで、世界中の企業を“動くものなら買う”という独自ルールで次々とグループに取り込んでいるそうです。
また、教育分野にも力を入れていて、「永守学園」という学校法人を設立し、大学教育の見直しにも本気で取り組んでいます。
あのハードワーク主義な人が、教育に情熱を注ぐというのはちょっと意外でしたが、「学歴偏重をやめろ」と言っている背景を見ると納得です。
ちなみにこのスタンス、エンジニア界隈でよくある「学歴<スキル」っていう文化にちょっと近い気がします。
永守さん、根っからの現場主義者なんですね。
永守重信の学歴|高校・大学・学生時代のエピソード
永守重信さんの学歴をひとことで言うなら「エリートじゃないけど、とにかく努力型」。
実際、学歴偏重を否定している理由も、この学生時代にあったのかもしれません。
「学歴なんて飾りやで」と言い切る姿勢の裏には、現場で培った“リアルな実力”があります。
出身高校と電気を選んだ理由
永守重信さんが通っていた高校は、京都市立洛陽工業高校(現在の京都工学院高校)です。
電気科に進んだのは、ただ単に“時代的に需要がありそう”という理由からだったとか。
正直、目的が崇高すぎて眩しい…という感じではないんですが、ここがリアルでいいんですよ。
僕も学生の頃は、将来何になりたいか分からず、とりあえず情報処理を選んだ口ですから、ちょっと親近感あります。
そして、洛陽工業では技術だけでなく、後に経営者として生きる上での粘り強さや体力をしっかり鍛えたそうです。
永守さんいわく「電気の知識より、我慢する力を学んだ」とのこと。
高校時代に既に、働くことへの前向きな姿勢が見えてたのかもしれませんね。
次は、そんな永守重信さんが大学でどう過ごしていたのかを見てみましょう。
“首席卒業”という言葉からは想像できない意外なエピソードもありますよ。
職業訓練大学校での成績や学び
高校卒業後、永守重信さんが進学したのは職業訓練大学校・電気科(現在の職業能力開発総合大学校)。
当時はまだ無名の学校でしたが、ここでも永守さんの努力は常識を超えていました。
なんと卒業時の成績は首席。
正直、ここで「え、努力型じゃなくてやっぱり天才やん」と思った読者も多いはずです。
でもその裏には、いわゆる“血反吐を吐くような”努力の日々があったみたいです。
あるインタビューでは「寝る時間を削って勉強した」と話していて、その姿勢は今も変わっていません。
1日16時間働く人が、学生時代からそのペースだったと考えると、納得ですね。
SEの現場でも「新人はまず体力」なんて冗談がありますけど、永守さんの場合はそれをガチで実践してきたタイプ。
講義→実習→夜は勉強、みたいなループで、自己鍛錬に全振りしていたそうです。
ちなみに、ここで身につけた電気工学の知識は、のちにニデックを立ち上げる原動力にもなっています。
つまり、「必要なことを必要な時に必死で学ぶ」っていう実践型の学び方だったんですね。
永守重信の経歴|ニデック創業までと現在の仕事
永守重信さんのキャリアは、まさに“叩き上げの極み”。
サラリーマンから独立、そして世界トップ企業へと成長させたその道のりには、普通じゃ考えられないスピードと熱量があります。
サラリーマン時代から起業までの流れ
大学卒業後、永守さんが最初に就職したのは音響機器メーカーのティアック。
ここで営業と技術の両方を経験し、「モーターの可能性」に魅了されたそうです。
その後、山科精器という会社で取締役に就任。
普通の人なら「もう安泰だ」と満足しそうなポジションなのに、なんと28歳で起業に踏み切ります。
当時のスタートアップメンバーは、たったの3人。
そして設立されたのが「日本電産(現:ニデック)」です。
これ、システム開発で言うと、未経験の3人がフルスクラッチでプロダクト作るようなもんですよ。
リスク高すぎて、僕なら胃に穴が開きます。
ニデック創業のきっかけと成長戦略
起業のきっかけは「小型モーターを世界で売る」という明確なビジョン。
ニッチ市場に全力で突っ込んで、あれよあれよという間に世界シェアトップに。
しかも、永守さんの戦略はとにかくスピード感。
「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」という社訓は、すでに社外でも有名ですよね。
まるで、開発現場で「今日中にバグ直して!」「絶対リリース間に合わせる!」と言われてるあの感覚。
ただし、永守さんの場合はそれを会社全体でやってるという…。
彼の語録を聞いてると、メンタルと体力が常人じゃないのがよくわかります。
現在の役職とこれからの展望
現在はニデックの会長兼CEOとして再登板中。
それだけじゃなく、教育・財団・地方創生にまで手を広げていて、とにかく“まだまだやる気満々”なんです。
中でも「2030年に売上10兆円」という目標には驚きました。
桁がデカすぎて、もはや感覚がバグります。
このあたり、若手経営者が「何歳までできるのか」って悩むことありますけど、永守さんを見てると“年齢は言い訳にならない”と痛感します。
永守重信の家族構成|息子たちも実業家?
永守重信さんといえば、経営のカリスマとして有名ですが、家ではどんな顔を見せているのか気になりませんか?
実は永守さんの家族も、ビジネス界で活躍している人物ばかりなんです。
長男・永守貴樹のプロフィール
永守重信さんの長男は永守貴樹さん。
過去には日用品メーカー「レック株式会社」の社長を務めた経歴があります。
レックといえば「激落ちくん」でおなじみの企業。
日用品にうるさい40代主婦の友人が「これは革命や!」と絶賛していたのを思い出します。
そんな会社を任されていたということは、永守さんからしっかりビジネスマインドを受け継いでいたんでしょうね。
ただ、親の七光りというよりは、実績をしっかり積んでから社長になったタイプという印象です。
ちなみに筆者の周りにも「親が経営者だけど自分はフリーター」って人がいるので、こういう二世成功例は素直にすごいと思います。
次男・永守知博の現在の仕事とは?
次男の永守知博さんも、実は会社を経営しています。
「エルステッドインターナショナル株式会社」の代表取締役社長として、製造業向けの情報発信やビジネスマッチングを展開中。
2人とも実業家として独立していて、“ニデックの後継者になる”という道は選ばなかったようです。
これは永守重信さん自身の「同族会社にしない」という哲学が大きく影響しているんだとか。
40代の自分としては、「自分の息子に会社を継がせたくなる気持ち」を想像しちゃいますが、それをしないのが永守流なんでしょう。
次はいよいよ、永守重信さんの熱すぎる名言や経営理念をご紹介します。
人を動かす力の秘密が、そこに詰まっていますよ!
永守重信の名言と経営理念|成功の裏にある哲学とは?
永守重信さんの魅力は、数字だけじゃ測れません。
その根底には、独自の価値観と“人を突き動かす言葉”があります。
「すぐやる・必ずやる・できるまでやる」
このフレーズ、ニデックを語る上で避けて通れないキーワードです。
なんなら、ビジネス書のタイトルにそのまま使えそうなレベル。
実際、社内ではこの言葉がスローガンになっていて、あらゆる判断基準の基礎になっているとか。
筆者もかつて「リファクタは来月でいいか」と思った時期がありましたが、これを読んで反省しました。
“すぐやる”って、当たり前のようで、できないことの代表格なんですよね。
永守さんは、それを口だけじゃなく自らの行動で体現しているからこそ、説得力があります。
ちなみに社内では、昔「大声テスト」や「早飯テスト」みたいな珍試験を実施していたという話もあって…。
効率重視の現代ではありえないスタイルですが、そういう“型破り”が強い印象を残すのかもしれません。
「学歴主義への反発」と人材育成方針
もうひとつの特徴は、学歴にこだわらない採用方針。
永守さんは「偏差値エリートだけでは企業は動かん」とはっきり言っています。
現に、ニデックでは成績や出身大学よりも“実力と根性”を評価して採用しているそうです。
これは現場主義の永守さんらしい考え方ですね。
しかも、単に“叱るだけ”ではなく「どう育てるか」まで考えているのがまたすごいところ。
熱血だけど根性論ではない、そんなバランス感覚がリーダーとしての強みなんでしょう。
