ジェームス三木が死去!死因は肺炎だった
2025年6月14日、脚本家のジェームス三木さんが肺炎のため亡くなったと報道されました。
享年91歳でした。
私自身、40代のシステムエンジニアなのですが、仕事の合間にNHKの大河ドラマや朝ドラを観るのが息抜きでして、「独眼竜政宗」や「澪つくし」は何度も録画を見返した記憶があります。
その脚本を手がけたのが、まさにジェームス三木さんでした。正直、報道を見たときは「ついにこの時が来てしまったか」と感じたほどです。
訃報は6月18日に明らかになり、ネット上でも悲しみの声が多く寄せられました。
X(旧Twitter)では「ジェームス三木さんの作品に育てられた」「澪つくしの脚本、大好きだった」という投稿が次々と流れ、一種の追悼トレンドのような様相でしたね。
肺炎というと、年齢を重ねた方にとっては決して他人事ではありません。
91歳という年齢を考えれば、十分に天寿を全うされたとも言えますが、やはり喪失感は大きいです。
最期の作品は何だったのか、晩年はどんな日々を過ごしていたのかも気になるところです。
病気との闘いについても、公には大きく語られていないようで、静かに旅立たれた印象ですね。
ジェームス三木の経歴とは?異色のスタートから大成功へ
ジェームス三木さんの経歴を語るとき、まず驚かされるのが「歌手からのスタート」という点です。
しかも、13年間も芸能界の下積みを続けていたというから、ただものではありません。
高校2年で演劇に目覚め、俳優座養成所に進んだジェームス三木さんですが、生活費を稼ぐために歌手として活動するようになります。
「フランク永井の対抗馬」として売り出されたとは本人談ですが、実際は地方巡業の連続だったとか。
テイチクレコードから月給6,800円で契約していたというあたりに、昭和のリアルを感じますね。
筆者の視点から見ても、このキャリアのブレっぷりは参考になります。
今の時代ってキャリアが一貫してないと不安になりますが、ジェームス三木さんはまさに「キャリアは曲がってなんぼ」だったと思います。
この柔軟さ、プログラミングのバージョンアップ対応にも通じる気がします。
歌手生活ののち、文芸同人誌で発表した小説が『新潮』に転載され、それが脚本家人生の始まりでした。
映画『夕月』で本格デビューし、その後はシナリオ作家協会の研究所で学び、野村芳太郎監督に師事。
シナリオコンクールでの入選も追い風となり、人生が一気に加速していきます。
NHKとの出会いがジェームス三木さんの人生を大きく変えたのは間違いありません。
いや、ジェームス三木さんですね(ややこしいですが笑)。
ドラマの現場で培った地道な努力が、大河ドラマという大舞台につながったのだと思います。
ジェームス三木の学歴・プロフィールまとめ
ジェームス三木さんの歩みは、学歴や家庭環境にもその個性がにじんでいます。
一見すると波乱万丈ですが、後から見るとすべてが「物語の伏線」だったように感じられます。
まず基本情報から見ていきましょう。
1934年6月10日、旧満洲国(現在の中国・瀋陽)に生まれ、終戦後に大阪へ引き揚げます。
中学2年のときに父親が心臓病で亡くなり、早くも人生の転機が訪れました。
高校は大阪府立市岡高校に進学しますが、演劇に夢中になり高校を中退。
ここで俳優座養成所に飛び込むのは、まさに行動派の証ですね。
「普通の道を歩まなかった」というより、「道を自分で切り開いた」と言った方がしっくりきます。
家族についても触れておきましょう。
ジェームス三木さんは、山下直子さんと結婚し、長男は俳優の山下規介さんです。
この親子関係も興味深いんですよ。
というのも、山下規介さん自身もドラマや舞台で活躍していて、役者としての道を歩んでいます。
二世というとプレッシャーが付き物ですが、独自のポジションを築いているように見えますね。
筆者は技術職なので親子で同業という状況にはなかなかならないですが、
「背中を見せて育てる」という意味では共感する部分も多いです。
ジェームス三木さんも、直接的な教えより、作品を通じて何かを伝えていたのではないでしょうか。
次は、そんな彼…いや、ジェームス三木さんの「代表作」について。
視聴率の記録を塗り替えたあの名作たちを、一緒に振り返ってみましょう!
ジェームス三木の代表作一覧とエピソード
ジェームス三木さんといえば、大河ドラマや朝ドラの名脚本家。
彼の代表作を並べるだけで、昭和から平成を彩った名シーンの数々が思い出されます。
まず外せないのが、1985年のNHK連続テレビ小説『澪つくし』。
千葉県銚子市を舞台に、醤油醸造家の娘と漁師の青年との恋を描いたこの作品は、当時としては異例の純愛ストーリー。
視聴率は平均で55%という驚異の数字をたたき出し、ヒロインを演じた沢口靖子さんの出世作にもなりました。
個人的にこのドラマの魅力は「人間の泥臭さ」がしっかり描かれていたこと。
40代エンジニア的には、”感情のバグ”みたいな複雑な心の動きにリアリティを感じました。
時代背景とキャラクターの関係性が見事に組み合わさっていて、シナリオ設計としても非常に秀逸です。
そして1987年の大河ドラマ『独眼竜政宗』。
主演は若き日の渡辺謙さん。放送当時は平均視聴率39.7%と、歴代最高記録を樹立。
視聴率がすべてじゃないとはいえ、この数字は今でもレジェンド級。
現代のプロジェクトでいえば「バグゼロ+ユーザー満足度MAX」な完成度でした。
他にも『八代将軍吉宗』(1995年)、『葵 徳川三代』(2000年)と、大河ドラマの王道ど真ん中を歩んできたジェームス三木さん。
さらに映画『善人の条件』(1989年)では監督も務め、ジャンルを超えてマルチな才能を発揮していました。
ちなみに作詞家としても活動していて、特撮ファンならご存知「君の青春は輝いているか」(超人機メタルダーの主題歌)も三木作品。
その守備範囲の広さには、「まるでフルスタック開発者みたいだな」と感じたのは筆者だけではないはずです。
どの作品も、テーマや時代背景は違えど、「人間くささ」に対する眼差しが共通していました。
脚本だけでなく、人生そのものがひとつの“長編ドラマ”だったと言えるかもしれません。