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藤竜之介さん(作曲家)が死去!死因や経歴や学歴!代表曲を総まとめ!

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目次

藤竜之介さん(作曲家)が死去!死因は肺炎だった

作曲家の藤竜之介さん(本名・藤井次郎)が、2025年6月7日に肺炎のため亡くなったことが発表されました。
享年は73歳でした。

藤竜之介さんの訃報は、音楽業界や演歌ファンの間で静かに、でも確実に広がっています。
大きく報じられたわけではないのに、SNSでは「えっ、あの名曲の作曲家?」「もっと知られるべき人だったよね」という声が多く見られました。

40代のシステムエンジニアである筆者も、実は藤竜之介さんの名前を最初に知ったのは、小金沢昇司さんの「無器用者だと言われても」をカラオケで歌った同僚の影響でした。
その時は作詞家や作曲家まで気にしていなかったんですが、今回訃報をきっかけに名前を見て「あの人か」と妙に納得しました。

藤竜之介の死去はいつ?報道された内容を整理

公式な発表は、妻である藤井サト子さんによって行われました。
発表によると、2025年6月7日に肺炎のため亡くなり、6月15日に近親者のみで葬儀が執り行われたとのことです。

こうした静かな送り方も、藤竜之介さんの人柄を物語っているようで、派手な告知は一切なし。
「音楽だけで語る人」だったという印象が深まりました。

藤竜之介の経歴がすごい!音楽人生の歩み

作曲家・藤竜之介さんのキャリアは、まさに“職人芸”という言葉がぴったりでした。
幼少期から音楽に親しみ、高校ではバンド活動に熱中。大学卒業後は一度歌手としてデビューするも、その後に作曲家として本格始動します。

筆者もシステムエンジニアとして、エンジニアリングの世界に飛び込んだのは20代後半。
コードを書くよりも設計図を描く方が向いてるな…と気づいたあたり、藤竜之介さんが歌手から作曲家へ転向した感覚に少し重なる気がします。
「表舞台じゃなくても、作品で勝負したい」――そんな志に共感しました。


幼少期〜作曲家になるまでの道のり

山口県出身の藤竜之介さんは、幼い頃からラジオに合わせて歌を口ずさむほど音楽好き。
高校ではバンド活動にのめりこみ、ビートルズなど洋楽にも強い影響を受けていたようです。
作曲家を目指すきっかけには、音大に通っていた姉の存在も大きかったとか。

20歳の頃には吉田矢健治さん、石井昌子さんに師事し、本格的なレッスンを受け始めました。
学校卒業と同時に歌手デビューを果たすも、残念ながら大きなヒットには恵まれず…。

でもここで諦めず、作曲という裏方の道へとシフトしていったのがすごいんです。


「歌で伝える」から「曲で支える」へ。この柔軟さと粘り強さは、本当に見習いたいですね。


ヒット作を生み出した作曲家としてのキャリア

1995年、日本作曲家協会主催のソングテストでなんと2作品同時にグランプリを受賞!
これはかなり異例の快挙です。

翌年、川中美幸さんの「恋歌ふたたび」と、小金沢昇司さんの「無器用者だと言われても」が同時リリースされ、一気に作曲家として注目を集めます。

「一発屋で終わらない」あたりもポイント高いですね。
その後も前川清さんの「一人愛」や、八代亜紀さんの「10年後の3年2組」など、名だたる歌手たちとのコラボで評価を固めていきます。


新人育成にも尽力した音楽講師としての顔

実は藤竜之介さん、後進の育成にもかなり力を入れていたようです。
キングレコードからデビューした井上りつ子さんや、日本レコード大賞新人賞を獲得した桜井くみ子さんなど、多くの新人を育て上げました。

講師業って本当にエネルギー使います。
筆者も後輩エンジニアに技術を教えるたび、「言語化力」が鍛えられてる気がしますが、まさにそれを音楽の世界で実践していたのが藤竜之介さん。


藤竜之介の学歴や出身地は?音楽の原点を探る

藤竜之介さんの原点は、山口県という自然豊かな土地にあります。
そして驚くことに、学歴は成蹊大学工学部卒。意外性と実力を兼ね備えた異色の作曲家だったんです。


出身地は山口県、自然豊かな土地が育んだ感性

山口県は筆者も一度旅行で訪れたことがありますが、空気が澄んでて穏やかな雰囲気の場所なんですよね。
藤竜之介さんが幼少期から音楽に触れ、感性を磨いたのも納得です。

幼い頃、母親におんぶされながらラジオに合わせて歌を口ずさんでいたというエピソードも微笑ましいです。


成蹊大学工学部出身!異色の経歴に注目

前述したように、音楽一筋かと思いきや、大学はなんと成蹊大学の工学部出身。
理系出身の作曲家って、構造的な美しさを重視するイメージがあります。

筆者のシステムエンジニア視点でも「音楽のロジック」って共通点が多いと感じます。
スケール、コード進行、リズム――全部数式っぽいんですよね。
藤竜之介さんも、そんな感覚を自然に持っていたのかもしれません。


音楽との出会いと家族の影響とは?

藤竜之介さんが音楽の道を志した背景には、音大に通っていた姉の存在がありました。
音楽一家というわけではなさそうですが、身近な人の影響って大きいですよね。

筆者もプログラマーになったきっかけは、兄が理系の大学に進んだことだったので、ちょっと親近感を覚えます。


藤竜之介のプロフィールまとめ【基本情報一覧】

以下が藤竜之介さんのプロフィールです👇

・名前:藤竜之介(ふじ りゅうのすけ)
・本名:藤井次郎(ふじい じろう)
・生年月日:1952年2月13日
・出身地:山口県
・学歴:成蹊大学 工学部 卒業
・代表作:川中美幸「恋歌ふたたび」、小金沢昇司「無器用者だと言われても」、前川清「一人愛」など
・活動歴:作曲家・作詞家・歌手・音楽講師
・受賞歴:日本作曲家協会ソングテストグランプリ(2回)、古関裕而音楽賞銀賞 ほか
・指導歴:MC音楽センター、NHK-BSカラオケ塾講師、日本レコード大賞新人賞受賞歌手の育成 など

それでは、いよいよ代表曲について深掘りしていきます!
どんなエピソードが詰まっているのでしょうか?


藤竜之介の代表曲まとめ!名曲に込めた想い

代表作を知れば、その作曲家の人柄が見えてくる。
藤竜之介さんの作品には、“人生の味わい”みたいなものが詰まっていました。


川中美幸「恋歌ふたたび」に込めた情熱

この楽曲は1996年リリース。作詞は昭和の巨匠・阿久悠さん。
このタッグで生まれた「恋歌ふたたび」は、演歌という枠にとどまらず、聴く人の心を震わせる一曲になりました。

筆者も一度、演歌に挑戦して撃沈した思い出がありますが…この曲だけは練習してまた歌ってみたいと思える、そんな力を持ってます。


小金沢昇司「無器用者だと言われても」の舞台裏

こちらも同時期にリリースされたヒット曲。
“無器用者”って、まさに昭和男子の代名詞みたいな言葉ですよね。
でも、それを否定しないメッセージが込められていて、聴くたびに「それでいいんだよ」と言われているような気になります。


前川清「一人愛」など、作詞作曲の逸話

「一人愛」では初めて作詞・作曲の両方を手がけています。
作詞までやるって、かなりハードル高いんですよ。

実は筆者もエンジニアなのにプログラムのみならず、仕様書まで書くはめになって、「それは仕事違くない?」と思った経験あり(笑)
でも、やってみると世界観が一段深くなるんですよね。

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