斎藤歩さん(俳優・劇作家)が死去|演劇界が失った大きな存在
2025年6月11日未明、俳優で劇作家、そして演出家でもある斎藤歩さんが、札幌の自宅で亡くなりました。
享年60歳でした。
北海道演劇財団の理事長としても活動していた斎藤歩さん。
亡くなる直前まで理事会に出席する予定だったそうで、まさに「最後の瞬間まで演劇人」だったと、多くの関係者が口をそろえて語っています。
筆者のような40代のサラリーマンでも、名前くらいは聞いたことがあるという人、案外多いんじゃないでしょうか。
ちなみに筆者が初めて斎藤歩さんを見たのは、あの細田守監督の『サマーウォーズ』で声を担当していた侘助役。
「あ、この人声優もやってたのか」とちょっと驚いたのを覚えています。
ただの舞台俳優じゃないんだなって。
しかも斎藤さんの経歴を調べていくと、演劇活動と同時に地元・北海道で若手の育成にも熱心だったようで、こういう“人育て”って、舞台裏にまわると一番大変なんですよね。
自分のことを優先したいタイプならなかなかできない。
同じ職業人として、頭が下がる思いです。
特に心を打たれたのは、末期がんと闘いながらも舞台に立ち続けたという姿勢。
筆者の仕事も、体調悪くても「納期が…」なんてつぶやきながらキーボード叩いてますけど、それとは次元が違う真剣さを感じましたね。
斎藤歩さんにとって、演劇は“生きることそのもの”だったんじゃないかと、記事を読みながら胸が熱くなりました。
斎藤歩さんの経歴と学歴|俳優・劇作家としての歩み
演劇界で名を馳せた斎藤歩さんですが、実は学生時代はまったく違う道を歩んでいました。
出身高校は、千葉県立佐倉高等学校。
そこから父親の母校でもあった北海道大学へ進学しています。
ちなみに専攻していたのは地質学で、最初は“科学者志望”だったそうです。
今の姿からはちょっと想像できませんよね。
でも、大学在学中に出会ったのが、運命の「演劇研究会」。
アングラなテント公演や反体制的な演劇に魅せられて、どんどん舞台の世界に引き込まれていったそうです。
なんと、大学では教養部の2年生を3回繰り返し、最終的には中退。
それでも演劇にのめり込んだ姿勢が、今に繋がっているのだと思うと胸が熱くなりますね。
1987年には「札幌ロマンチカシアター魴鮄舎(そうぼうしゃ)」を旗揚げし、札幌を拠点に演出家・俳優・脚本家として活動。
北海道という地方都市にありながら、全国区の注目を集め続けました。
次の見出しでは、そんな斎藤歩さんの代表作や、あの有名アニメ作品での活躍にも注目してみましょう!
斎藤歩さんの代表作|サマーウォーズや舞台での存在感
斎藤歩さんの代表作といえば、舞台作品が圧倒的に多いですが、一般的に一番知られているのはやはり『サマーウォーズ』。
この映画で演じたのが、ちょっとクセのある天才・陣内侘助。
知的で謎めいたキャラにピッタリの声で、「あれ誰?」と気になった人も多かったはず。
筆者も最初は「プロの声優じゃない人かも?」と思って調べたら、斎藤歩さんだったんですよね。
渋みのある声が印象的で、あれ以降、テレビドラマや映画に出ていてもすぐわかるようになりました。
舞台の世界では、『冬のバイエル』『アンダンテ・カンタービレ』『リア王の悲劇』など、名作を次々と手がけています。
特に北海道での上演は“毎回話題になるレベル”だったそうで、地方文化を支え続けた功労者という一面もありますね。
ドラマや映画でも『アウトレイジ ビヨンド』『沈黙』『クローズZERO』『エール』など、有名作品に多数出演。
「なんか見たことある俳優だな~」と思ったら、だいたい斎藤歩さん、みたいな。
次は、そんな斎藤歩さんを支えた“もうひとりの演劇人”である妻・西田薫さんについてご紹介します。
斎藤歩さんの妻・西田薫さんとは?
斎藤歩さんの妻は、女優の西田薫さん。
劇団「TPS(シアタープロジェクトさっぽろ)」などの活動を通じて、同じ舞台で活躍してきた仲間でもあります。
おふたりは、単なる夫婦というより、まさに“演劇という人生を共に歩んできたパートナー”。
がん闘病が始まってからも、舞台や財団の運営を続ける斎藤歩さんを、そばで支えていたのが西田薫さんでした。
実際に共演した舞台も多く、お互いを高め合うような関係だったといわれています。
関係者のコメントでは「背中を追い続ける存在だった」という言葉もあり、深い尊敬と愛情がにじみ出ていますね。
夫婦であり、同志であり、創作者同士であり…。
このふたりの関係性は、ただの“有名人とその配偶者”というくくりでは語れません。
では最後に、斎藤歩さんが残した“北海道演劇界への影響”について見ていきましょう。
北海道演劇界に残したレガシーと影響力
斎藤歩さんが演劇界に与えた影響は、決して小さなものではありません。
札幌を拠点に活動しながら、全国区で通用するクオリティの作品を作り続けた実績。
それだけでも十分すごいのに、後進の育成にも力を注いでいたところが、本当に尊敬できる部分です。
2020年には北海道演劇財団の理事長に就任し、教育活動にも精力的に取り組んでいました。
若手の劇作家や演出家のサポートにも力を入れ、いわば“北海道演劇の母体づくり”を支えた存在です。
また、訃報が伝えられたのが理事会の当日だったこともあり、関係者からは「最後の瞬間まで演劇人だった」という言葉が多く聞かれました。
今後は、北海道演劇財団が主催となって「お別れの会」が開かれる予定です。
きっと多くの演劇人やファンが集まり、斎藤歩さんの功績を称えることでしょう。