26年間も未解決だった名古屋の事件で、逮捕されたことで一躍有名になった安福久美子容疑者。
でも、その裏側にどんな家庭があって、どんな日々を過ごしていたのかまで知る人は少ないはずです。
彼女はどんな家族と暮らし、どんな環境で子育てをしていたのか。
夫との関係は?子どもは何人いたのか?
報道だけでは見えてこない部分を、周囲の証言や経緯から丁寧にたどってみると、想像とは少し違った“家庭の姿”が浮かび上がってきます。
本記事では、安福久美子さんの家族構成を軸に、彼女の人生の背景をひもといていきます。
安福久美子の家族構成が判明!何人家族で誰がいるの?

安福久美子容疑者の家庭について、報道や周囲の証言から少しずつ見えてきたことがあります。
公式な情報は出ていませんが、近所の人々の話や経緯をたどると、その生活背景がかなり立体的に見えてきました。
長年一緒に暮らしてきた家族とはどんな関係だったのか。
そして、なぜあのような事件へとつながってしまったのか。
ここからは、家庭の内側にあった“ほころび”と“現実”を見ていきます。
安福久美子は結婚している?夫と息子がいるとの証言も
まず、安福久美子さんが結婚していたかについてですが、これはほぼ確実と見られています。
なぜなら、家族と一緒に暮らしていたという近隣住民の証言が複数あるからです。
また、旧姓が「山口」であることから、離婚はしていないと判断できます。
当時住んでいた名古屋市港区のマンションでは、夫と子供と一緒に生活しており、PTAの役員や地域のこども会にも関わっていたとのこと。
筆者も子どもの入学式でPTAの名簿を見て「お、あの人の奥さんね」となる経験があったので、こういう地域活動に関わっていたという証言はかなり信ぴょう性があります。
結婚当初は義実家での同居から始まった
結婚した当初の安福久美子容疑者は、夫の実家で義両親と同居していたそうです。
これはよくある話ですね。筆者の職場でも「結婚して最初の数年は義実家に…」なんて声、意外と多いです。
うまくいってればいいですが、距離が近すぎると何かと気を使います。
ところが、数年後に長女を亡くすという痛ましい出来事がありました。
幼稚園に通っていた頃に血液の病気で亡くなっていたことを中日新聞が報じています。
そこから義理の両親との関係が悪化し、「長女の死は嫁のせい」と責められたとも言われています。
それを見かねた夫が、家族を連れてマンションへ転居したという話があります。
こういうとき、きちんと妻側に立って動けるかどうかって、夫としての器が問われる場面です。
少なくともこの時点では、安福久美子さんの夫は家族を守ろうとしていたように感じます。
子育てと仕事を両立、でもその裏では…
マンションに引っ越してからは、男児2人を育てながら、生活関連商品を製造・販売する名古屋市内の会社で事務職の仕事に就いていたそうです。
1999年の事件当時は、上の子が中学生くらい、下の子もまだ手のかかる年齢だったと考えられます。
2005年頃には長男が大学生になっていたという証言もあり、生まれたのは1985年頃と推測できます。
ということは、安福久美子さんは30代半ばから40代の多忙な時期に、子育てと仕事、家事を一手に担っていたことになりますね。
なお、2005年頃には長男が大学生ということは、2025年現在の年齢は40才前後ではないかと推測されます。
筆者も小中学生の子を育てる身ですが、思春期男子って本当に手がかかるんです。
反抗期で口もきかないし、言えば言うほど面倒くさがられる。
そんな時期にフルタイムじゃなくても働いていたら、そりゃ心も擦り減ります。
そして気づけば、家の中での居場所がなくなっていた――そんな日々だったのかもしれません。
家族構成は4人?徐々に孤立していった安福久美子
当初は夫・長男・次男との4人暮らしだった安福久美子さん。
でも、後年の報道では「常に一人だった」といった証言が目立ちます。
これって、家族と物理的に離れていたというよりも、「心理的に距離ができていた」のかもしれません。
息子たちは成長し、思春期を迎える。そして遠方の大学に進学する。夫は仕事に忙しい。
家の中で孤独を感じることは、どこの家庭でも起こりうることです。
実際、筆者の知り合いにも「家庭内別居みたいで…」なんて冗談を飛ばす奥さんがいますが、冗談で済むうちはまだいい。
それが積み重なって「私は家の中でも透明人間」と感じるようになると、心にぽっかりと穴が開いてしまうんですよね。
同窓会で再会した被害者夫に“理想の家庭”を見た?
そんな中、かつての同級生である被害者の夫・高羽悟さんと再会したことで、安福久美子さんの心に“火”がついたのではないかと考えられています。
報道によれば、「なんて幸せそう」「あの人と結婚していたら、私の人生は違ったかも」と思い詰めていた節があったとか。
これは完全に筆者の憶測ですが、家庭で孤立感を抱えていたところに、昔好きだった(あるいは憧れていた)相手と再会し、そのギャップに感情が暴走したのではないでしょうか。
人って、つらい状況にあるときほど、「あの時こうしていれば…」という“ifの妄想”に逃げたくなるものです。
でも、それが現実と乖離しすぎると、自分の人生そのものを否定する方向に進んでしまう。
もしかしたら、安福久美子さんの心は、そんな負のスパイラルに巻き込まれていたのかもしれません。
結婚している夫の職業は?同居や離婚の噂も検証
報道ではあまり触れられていないものの、安福久美子さんの夫に関する情報も少しずつ明らかになってきました。
ここでは、夫の職業についての手がかりと、離婚の可能性についての噂を検証していきます。
まずは、夫の仕事や生活の様子について見ていきましょう。
夫の職業は一流自動車部品メーカー勤務!目撃証言から読み解く生活の様子
安福久美子さんの夫については、名古屋の名門大卒で一流自動車部品メーカーに勤務していたと報じられています。
ただし、近所の住人が「たまに男性を見かけた」と証言している点から、単身赴任だった可能性が高いとも考えられます。
つまり、夫は日中どこかへ通っていた=単身赴任のサラリーマンだった可能性もある、ということ。
隣人の証言から、安福久美子さんの夫は転勤族で、山形のお土産をもらったころがあるというエピソードがあります。
家族の生活はどんな様子だった?周囲の証言まとめ
安福久美子さんの家庭が、どんな雰囲気だったのか。
報道では多く語られていない部分ですが、周囲の住民による証言を拾っていくと、彼女とその家族の“生活感”が少しずつ浮かび上がってきます。
ここでは、そんなリアルな証言をもとに、家庭の空気や印象について深掘りしていきます。
隣人「ちょっと不思議な家族だった」という声も
ご近所の証言で印象的だったのが、「ちょっと不思議な家族だった」という一言です。
これは、単に近所付き合いが少なかったという意味にも取れますし、生活の雰囲気にどこか違和感があったのかもしれません。
隣の工場で働いていた男性は「ほとんど姿を見かけなかった」と語っており、「空き家だと思っていた」とまで話しています。
ただ、たまに“ご主人らしき男性”を見かけたとの証言もあり、完全に無人ではなかったようです。
筆者のご近所にも、似たような家があります。
住んでるのかいないのかわからない静けさで、年に数回しか姿を見かけない。
でも、ある日突然「隣の車が変わってた!」なんてことで、妙に盛り上がったりします。
静かな家庭って、外から見るとちょっとミステリアスに映るんですよね。
安福久美子さんの家族も、まさにそういった“外からではわかりにくい暮らし”を送っていたのかもしれません。
次は、そんな彼女に対する、もう少し親しみのある声をご紹介します。
「優しい母親」だったという近隣住民の印象
報道の中では「優しいお母さん」という印象も語られています。
近所の女性は「信じられない。とても優しそうな人だった」と話しており、事件とのギャップに驚いた様子がうかがえます。
また、元隣人の男性は「娘さん綺麗ですね」と話しかけられたことを妙に覚えているようで、そういった日常的な会話があったことも明らかになっています。
人って、印象のギャップに弱いものです。
筆者の職場でも、「あの人が!?」という話がたまに出ますが、仕事中の顔と家での顔って違いますからね。
どんな人にも“裏の顔”がある、というより“多面的な顔”があるのだと思います。
安福久美子さんも、家庭ではごく普通の母親として暮らしていたのでしょう。
近所での交流は少なくても、家庭内では息子たちの反抗期に悩んだり、夫と静かに暮らしたり…そんな日々が想像されます。


