DJCANさんが45歳で死去!食道がんとの闘病生活とは?

突然の訃報に、ファンの間で悲しみと驚きが広がっています。
食道がんという重い病と闘い続けたDJCANさんの姿には、多くの人が胸を打たれたのではないでしょうか。
ここでは闘病の経緯や、発見からの1年間の記録、そしてXでの最後の投稿に込められた言葉を振り返っていきます。
1年間の闘病を乗り越えた壮絶な記録
DJCANさんが「食道胃接合部に癌が見つかった」とXで投稿したのは、2024年7月2日のことでした。
この投稿は彼のファンだけでなく、音楽業界全体にも大きな衝撃を与えましたね。
実は筆者も40代に入ってから健康診断の項目がじわじわ増えてきた身。
「胃カメラ?来年でいいか」と先送りにしていた頃にこの投稿を目にして、背筋がゾッとしました。
自分の身体は自分で守らなきゃと本気で思わせてくれた出来事でしたね。
DJCANさんは、がんの診断から約1年という闘病期間を過ごしました。
途中、SNS上でも「できることがどんどん限られていく……」と綴っていて、心の奥にある不安や葛藤が痛いほど伝わってきました。
けれども、NonKeyさんの言葉を借りれば「心が折れることなくCANらしく戦った」とあります。
この「らしく」という言葉、胸に響きますね。
単に病気と向き合っただけでなく、DJCANさんらしいユーモアや強さを最後まで忘れなかったんだなと感じます。
どんな状況でも“らしさ”を失わないって、なかなかできることじゃありません。
職場でも「お前は相変わらずだな」と言われ続けてきた筆者には、妙に共感できる姿勢でした。
発見から死去までの時系列まとめ
DJCANさんの病気が公表されたのは、2024年7月2日のことでした。
Xで「食道胃接合部に癌が見つかって入院しております」と投稿されています。
そこから約1年後の2025年7月25日、闘病の末に永眠されたとNonKeyさんが報告。
1年間という時間は、長いようであっという間。
医療の進歩があっても、食道がんは発見が遅れやすく、進行も早いケースが多いんです。
筆者も過去に親しい同僚が似たような病を患ったことがあり、あっという間に症状が進んでしまった経験があります。
「ちょっと喉の調子が悪いな」と思った頃には、すでに手遅れだったというケースも少なくありません。
DJCANさんのXでは、入院の報告以降、治療の詳細や経過についてはほとんど語られていませんでした。
でも、その“沈黙”にこそ、リアルな闘病の厳しさが滲み出ていたように感じます。
亡くなった日についても、報道では「7月25日」と明記されており、葬儀は近親者のみで執り行われるとのこと。
ファンとの対面の機会が設けられているのは、唯一の救いかもしれません。
では、そんなDJCANさんが、亡くなる直前にどんな言葉をXに残していたのか?
その“最後の投稿”に注目してみましょう。
最後のSNS投稿に込められた想いとは?
2025年6月8日、DJCANさんがXに残した最後のメッセージは、たった一文。
「自分でできる事がどんどん限られていく。。。」
この投稿を見た瞬間、正直言って胸が詰まりました。
言葉は少ないのに、心の叫びがものすごく伝わってくるんです。
しかもこの投稿、文章の最後に「。。。」と三点リーダがある。
これはただの記号じゃなくて、言葉にしきれない“間”や“余白”なんですよね。
実際、リプライ欄には「何もしてあげられなかった」といったコメントや、「祈ってたよ」というファンの声があふれていました。
DJCANさんは、多くを語らずとも多くを伝える人だったんじゃないでしょうか。
それって、音楽の世界にも通じる力ですよね。
福岡出身の実力派DJ・DJCANさんの経歴まとめ!
DJCANさんの音楽人生は、福岡という土地から始まりました。
クラブカルチャーが根づいたこの街で、どんな風に音楽と出会い、どんな道を歩んできたのでしょうか?
ここでは、DJCANさんの幼少期から音楽との出会い、活動の転機となったユニット、そして福岡との深いつながりについてまとめていきます。
幼少期から音楽に目覚めたきっかけ
DJCANさんこと佐藤祐さんは、福岡県出身。
少年時代にブラックミュージックやR&Bに触れたことが、音楽への情熱を芽生えさせた原点だったようです。
地元のイベントに足を運びながら、ターンテーブルに触れ始めた頃から、すでにそのセンスは周囲に知られていたとのこと。
初期から“クラブで鳴らす音”ではなく、“聴かせる音”を作っていたという話も。
当時からストリートと音楽が直結していた福岡だからこそ、DJCANさんの感性が育まれたのかもしれません。
NONKEYとのユニット「YOKOHAMA BOYS」の活動
DJCANさんの名前を全国区にしたきっかけは、やはりラッパー・NONKEYさんとのユニット「YOKOHAMA BOYS」の活動です。
クラブミュージックとリリックが絶妙に絡むスタイルで、多くのファンを獲得しました。
筆者もYouTubeで初めてこのユニットを聴いたとき、「あ、これはやられたわ…」って唸りました。
曲ごとにストーリー性があり、歌詞に人生がにじみ出ていて、単なるパフォーマンスじゃないんですよね。
NONKEYさんの力強くて人間味あるラップに、DJCANさんのセンスあるトラックが見事にハマってたのが印象的です。
音楽性の違う2人が、ぶつかりながらも信頼で繋がっていたからこそ、あれだけリアルな音が作れたんでしょうね。
地元・福岡と音楽のつながり
福岡は、R&Bやヒップホップカルチャーが根強く息づく街。
DJCANさんは、そんな地元・福岡を愛し、活動拠点にしながらも全国に音を届けていました。
SNSでも「福岡の夜に音を落とすのが一番好き」と綴っていたことがあり、現場を何より大切にしていた様子が伝わってきます。
東京に出て行くアーティストも多い中で、地元を拠点にし続けたスタンスは、正直かっこいいなと思いました。