「なんでもジョッキー」や「ごぜん様さま」でおなじみの、世良洋子さんが亡くなりました。
アナウンサーとして第一線で活躍し続けた彼女の声は、広島の朝に欠かせない存在だったはずです。
この記事では、世良洋子さんの死因や経歴、代表番組や引退理由、そしてユニークなエピソードまでをまとめています。
世良洋子さん(RCCアナウンサー)が死去|肝臓がんによる81歳の旅立ち
広島の朝を彩った声が、静かにその幕を下ろしました。
世良洋子さんといえば、あの優しいトーンとユーモアたっぷりの語り口。
ラジオやテレビで耳にしたことがある人も多いはずです。
今回は、そんな世良洋子さんの訃報と、その背景についてお伝えします。
世良洋子さんの訃報に広がる惜しむ声
世良洋子さんが亡くなったというニュースが流れ、SNSでは一気に話題になりました。
スマホでネットニュースを見ていた筆者も「えっ…」と声を漏らしてましたね。
それくらい、世良洋子さんは“声で覚えてる存在”だったんです。
ラジオ「ごぜん様さま」や「なんでもジョッキー」。
彼女の語りは、朝からちょっと元気が出ない日でも、すっと耳に入ってくる“声のビタミン”みたいなものでした。
ネットでは「学生時代によく聴いてた」「祖母と一緒にラジオ聴いてたなあ」なんて声が続々と。
こうして“あの声”が、いかに多くの人の日常に溶け込んでいたのかを実感しました。
このあと、死因や詳しい報道内容についてご紹介していきます。
死因は肝臓がん|葬儀は近親者のみで執り行われた
世良洋子さんの死因は、肝臓がんだったそうです。
広島県廿日市市内の病院で、4日未明に静かに息を引き取られたとのこと。
81歳でした。
SNSでは驚きの声も多かったです。
闘病中だったなんて、まったく想像がつかないくらい、いつまでも“元気な声”のイメージがありましたから。
世良洋子さんの経歴|RCC初の女性ラジオニュース担当者
アナウンサーとしての第一歩から、女性初のニュース担当になるまで。
地元・広島で育った世良洋子さんのキャリアは、情熱と挑戦の連続でした。
教師志望からアナウンサーへ|入社までの道のり
実は、世良洋子さんは最初からアナウンサーを目指していたわけではありません。
大学では日本文学を専攻し、将来は教師になるつもりだったとか。
そこから一転、アナウンサーへの道を進んだきっかけは、友人の一言だったそうです。
ちょっと興味がある程度で試しに受けたRCCの採用試験。
なんと1000人以上の応募者の中から見事に合格。
この話、システムエンジニアの世界で言えば、未経験でGoogleに受かるくらいの衝撃です。
結果的に、この“偶然の一歩”が彼女の人生を大きく動かすことになります。
次は「RCCニュース6」での活躍について触れていきます。
RCCニュース6など報道番組で“知性”と称された時代
1966年にRCCへ入社した世良洋子さん。
当初はラジオ番組の時刻読みなどから始まり、やがて「ニュース6」などの報道番組も担当するようになります。
当時は“鼻濁音”もうまくできず苦労していたそうですが、努力の人だった世良洋子さん。
やがて、「RCCの知性」とまで言われるほどの存在に。
個人的にすごいなと思うのは、女性アナウンサーとして初めて駅伝中継の実況を任されたところ。
これって今で言うと、フルスタック開発者が営業までこなすようなもので、本当にマルチでした。
そんな多才な彼女が次に挑んだのが、“硬派”から“バラエティ”への転身です。
なんでもジョッキー時代|イメージ一変の転機
「RCCの知性」が、笑いを届ける“ジョッキー”になるまで。
ここから世良洋子さんのイメージは大きく変わっていきます。
“RCCの知性”から“愛されパーソナリティ”へ
1987年、「なんでもジョッキー」のパーソナリティとして抜擢された世良洋子さん。
最初は断ったそうですが、当時の上司や共演者に説得され、3ヶ月だけと決めて引き受けたとのこと。
ところが、ふたを開けてみれば…結果は大好評。
気づけば9年間も担当する人気番組になっていました。
実は筆者の友人がこの番組、ちょこちょこ聴いていたそうです。
「永遠の28歳」って自称してたあの感じ、癖になるとのこと。
この時期から、世良洋子さん=“親しみやすい人”という印象が定着していったように感じます。
公開イベントでリスナーと深い交流も
なんでもジョッキー時代、特に印象的なのが“リスナーとの距離感”。
公開イベントでは、常連リスナーと一緒に花見をしたり、食事を楽しんだりと、まるで友人のような関係性を築いていました。
ラジオの向こうの人が、ちゃんと“顔の見える関係”になっていた。
この距離感は、今のSNS時代にも通じる大切な価値観かもしれません。
平成ラヂオバラエティごぜん様さま|晩年まで続いた声の力
60歳を過ぎてもマイクの前に立ち続けた世良洋子さん。
その声には、年齢を超えたエネルギーが詰まっていました。
上野隆紘との名コンビ再び|笑いと元気を届けた日々
「ごぜん様さま」は、朝のバラエティ番組として一躍人気に。
世良洋子さんは、元・相方だった上野隆紘さんと再タッグを組み、再び笑いと元気を届ける存在になりました。
この番組、テンポもよくて、聞きながら朝の準備をするのにちょうどいいんですよね。
実際、職場の後輩も「出勤前に必ず聴いてます」と言っていたくらいです。
世良洋子さんの声には、不思議と“今日もがんばるか”って思わせてくれる力がありました。
滑舌低下と体調変化…レギュラー降板の理由とは
そんな世良洋子さんですが、2014年にレギュラーから降板しています。
原因は、首下がり症候群という病気の治療薬の副作用。
滑舌の低下や体重の減少などが出てしまい、やむを得ず番組を降板したそうです。
でも、「年末だけは復活して声を届けたい」と、「年忘れラジオ紅白歌合戦」にはその後も出演。
最後まで声にこだわり、声で人を元気にし続けた姿勢は、本当に胸を打ちますね。
世良洋子さんの人柄・名言・エピソードまとめ
仕事に厳しく、でもチャーミングでユーモラス。
世良洋子さんの“人としての魅力”にも少しだけ触れておきたいと思います。
「永遠の28歳」発言に見るチャーミングな一面
名セリフのひとつが、「私、永遠の28歳なの」。
初めて聞いたときは、思わず笑ってしまいました。
でも、年齢に縛られない自由なスタンスって、どこかかっこよかったです。
あと、番組内で共演者に「すべては上野さんのせいよ」なんて笑いながら言う姿も、完全に“愛されキャラ”でしたね。
リスナーに愛され続けた“よっこ”の魅力
「よっこ」という愛称で親しまれた世良洋子さん。
単なるパーソナリティじゃなく、“身近なお姉さん”みたいな存在でした。
ラジオで「肉が好き」と言ってたのがきっかけで、コンビニとのコラボ弁当まで発売されていたほど。
そこまでリスナーと距離が近かったアナウンサーって、なかなかいないと思います。