福田博之のプロフィールまとめ!出身地や家族構成、年齢も紹介
日本テレビの社長の福田博之さん。肩書きは立派だけど、中身をのぞいてみると、ちょっと意外な一面もあるんです。
まずは、出身地や年齢といった基本情報から、家族のことまでゆるっと紹介していきますね。
出身地や年齢は?福田博之の基本プロフィール
福田博之さんは、1961年7月9日生まれ。東京都の出身で、2025年時点で63歳になります。
出身高校は都立大泉高校。大学は明治大学経営学部。どちらもラグビー部に所属していて、学生時代はずっと汗を流していたそうです。
「社長=文化系」のイメージを持ってた身としては、ちょっと意外でした。ゴリゴリの体育会系なんですね。
しかも、日テレの最終面接で「ラグビーW杯の中継をやりたいです!」って熱く語ったとか。なんだかアツい人です。
ちなみに、僕のまわりのエンジニアだと、そんな熱意で会社入った人なんて、ほとんどいません(笑)。
年齢の話に戻ると、60代でこれだけ現場感覚を持ってるって正直すごいなと思います。自分なんて40代で腰に爆弾抱えてデスクワークにヒィヒィ言ってるのに…。
こんな福田博之さん、年齢に似合わず(いい意味で)エネルギッシュな方なんですよ。
さて、次は「福田家ってどんな感じ?」という話をしていきます。
福田博之さんの家族構成や、ラグビーとの関係もちょっと面白いんです!
福田博之の家族構成は?ラグビー好きな父としての一面も
福田博之さんは、自身がラグビーに情熱を注いできたのと同じように、家族ともラグビーを通じて絆を深めてきた方です。
息子さんが幼い頃から一緒にラグビーをしていたそうで、西東京のラグビースクールに一緒に通っていたとのこと。
この話、なんか良いですよね。週末に親子でグラウンドに立つ姿、想像するとちょっとジーンときます。
福田博之さん自身も「子どもたちとラグビーをしていた時間が何より楽しかった」と語っています。
ラグビーって聞くと、一気にガチ感が増しますね。
ラグビーって、あのガタイでぶつかり合う競技ですよ? 普通のお父さんなら全力で避けたいところですが、そこをあえて選ぶあたり、やっぱり根っからのラグビー愛。
家族についての詳細な情報は多く語られていませんが、プライベートな部分を大事にされているのかもしれません。
「息子とラグビー」っていうフレーズだけでも、人となりが伝わってくる気がします。
福田博之の学歴は?都立大泉高校から明治大学へ進学!
バリバリの実力派テレビマン・福田博之さん。学歴も気になりますよね。
ここでは、高校・大学時代のラグビーエピソードを交えながら、どんな学生時代を過ごしていたのかをまとめてみました!
高校時代はラグビー部で活躍!都立大泉高校の思い出
福田博之さんの出身高校は、東京都立大泉高校。
地元でも“文武両道の進学校”として知られていて、校風はわりと自由な感じだそうです。
その大泉高校で福田博之さんはラグビー部に所属。部活漬けの毎日だったようで、放課後はグラウンド直行だったとか。
今でこそ“テレビ局の偉い人”というイメージが強いですが、当時は普通の汗臭い高校生。
自分の高校時代なんて部活サボってゲーセン行ってたので、比べるのが申し訳ないくらいです。
今振り返ると、あの頃の根性とチームプレー精神が、今の仕事にも活きてるのかもしれませんね。
このあとの大学時代にも、ラグビー愛は続いていきます。
明治大学時代のエピソードとテレビ業界を目指したきっかけ
高校卒業後は、明治大学の経営学部に進学。
そして、ここでもラグビー部に所属します。しかも明治のラグビーって、超名門なんですよ。
筋肉もメンタルも一流に鍛えられる環境だったはず。ラグビー部と学業の両立って、かなりハードだったと思います。
ただ、ここで面白いのが「テレビ局を目指したきっかけ」。
実は、大学時代から“ラグビー中継がやりたい!”という強い想いがあったそうです。
日テレの最終面接で「W杯中継がやりたいです!」って言いきったのは有名な話。
自分が就活してた頃なんて、「第一志望です」って言うのが精いっぱいだったので、当時の福田博之さんの勢い、尊敬します。
その熱意がのちに夢を現実に変えていくわけですが、それは次の見出しでじっくり掘り下げていきましょう!
続いては、日本テレビに入社後、どんなキャリアを歩んできたのか。
“出世街道”の歩き方、参考になるかもしれませんよ。
福田博之の経歴がすごい!日本テレビ入社から社長就任まで
明治大学を卒業後、日本テレビに入社した福田博之さん。
そこからテレビ業界の階段を一歩一歩のぼり、ついに社長に。まさに“テレビ界の成り上がり伝説”です。
入社後の歩みと社内での出世コースを一気に解説!
福田博之さんが日テレに入社したのは1985年。時代は昭和60年。バブル前夜ですね。
最初は制作畑ではなく、営業局に配属されました。そこから約20年、編成や制作、スポーツの各部署を歴任。
営業推進部長 → 編成戦略部長 → 制作局長 → 執行役員…と、順調にキャリアを重ねていきます。
「編成」と「制作」って、テレビ局の“頭脳”と“現場”の両方を司るセクション。それをどっちも経験してるって、かなりの強みです。
僕らの業界で言えば「インフラもコードもデザインもできるエンジニア」みたいな感じ。そりゃ重宝されるわけです。
“テレビの裏方からトップへ”。サクセスストーリーってやつですね。
日テレ社長就任はいつ?ラグビーW杯放映の夢が実現した瞬間
社長就任が発表されたのは2024年。実際に就任したのは2025年1月。
注目されたのは、福田博之さんが若い頃からずっと言い続けていた「ラグビーW杯中継がしたい」という夢を、実現してしまったこと。
2007年には電通から放映権の話が舞い込み、ついに2019年、日本開催のW杯で“ラグビー中継”を完遂。
視聴率は想定以上。日本代表以外の試合も大ヒット。放送終了後には涙が止まらなかったそうです。
エンジニア目線で言えば、若いころに夢見たプロジェクトを、40年越しで大成功させたみたいな話。
ぶっちゃけ、かなりカッコいいです。
さて、そんな福田博之さんがこれまで関わってきた番組。名作ぞろいです!
次はその代表作をまとめていきますね。
福田博之が関わった人気番組まとめ!“裏方の天才”の実力とは?
“テレビの裏方”というより、“テレビの黒幕”レベルの影響力を持っていた福田博之さん。
関わってきた番組は、どれも一度は見たことあるやつばかりです。
「ガキ使」「行列」「笑コラ」など人気番組の制作歴
まずはバラエティ番組。
福田博之さんが関わった作品には、
- ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!
- 行列のできる法律相談所
- 世界まる見え!テレビ特捜部
- 笑ってコラえて!
- 踊る!さんま御殿!!
…など、国民的番組がズラリ。
しかも、チーフプロデューサーだったこともあって、番組全体の方向性に関与していたようです。
裏でテレビ界を動かしていたと言っても、言い過ぎじゃありません。
会社で例えるなら、いきなり“全社プロジェクトのマネージャー”を任されるようなもの。
そりゃ、上に引き上げられるのも納得です。
24時間テレビやアイドル番組にも関与!幅広いジャンルで活躍
福田博之さんは、硬派なドキュメンタリーだけじゃなくて、アイドル番組にも力を入れていました。
- 24時間テレビ「愛は地球を救う」
- AKBINGO!
- NOGIBINGO!
- SKE48のエビフライデーナイト
…などなど、幅広いジャンルで関わっていたのが印象的。
つまり、「なんでもできる系プロデューサー」なんですよね。
僕らエンジニアの世界でいう“フルスタック開発者”みたいなもの。技術にも感性にも強い、最強タイプです。
そんなオールラウンダーが、次に手がけたのが“ジブリ”でした。
福田博之はスタジオジブリ社長でもある!日テレとの関係性とは?
日テレの社長に就任する前、福田博之さんはあの「スタジオジブリ」の社長にもなっていました。
え、日テレとジブリってそんなに近い関係だったの?という方のために、背景から丁寧に解説します。
なぜジブリの社長に?日テレとの深い関わりが背景にあった
実は、ジブリの大ファン…というわけではなく、これは日テレとジブリの資本提携によるものです。
日テレはずっとジブリの映画をテレビ放映してきた実績があって、ジブリとの関係も深いんです。
その“橋渡し役”として、福田博之さんが適任とされたわけですね。
技術職の立場から見ると、「部署をまたいで超大型プロジェクトを任された」みたいなもんです。
やっぱり信頼と実績がないと、ここまでは任せられないですよね。
スタジオジブリの今後と福田博之が描くビジョン
今後のジブリにどう関わっていくのかはまだ未知数。
ただ、福田博之さんは日テレでも「若手の才能を伸ばすのがうまい」と評判だったので、ジブリにもその手腕が活かされる可能性は大。
ジブリの新作展開や、国際的な配信戦略など、放送・制作・ビジネスを熟知した“プロ中のプロ”として活躍が期待されます。
いやもう、ほんとにすごい人ですね…。