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志太勤さん(シダックス創業者)が死去!死因や経歴や学歴!高校生から実業家へ駆け上がった理由とは?

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目次

志太勤さん(シダックス創業者)が死去

シダックス創業者の志太勤さんが、2025年7月9日に亡くなりました。
死因は「うっ血性心不全」で、90歳という長い人生に幕を下ろされました。

私は40代のシステムエンジニアとして、給食業界や飲食系の業務システムに関わった経験があります。
そのせいか、「シダックス」という名前には、どこか親しみを感じていました。

給食事業に始まり、カラオケでも一時代を築いたシダックス。
そのトップに立っていたのが志太さんです。
静岡県出身で、企業の代表としてだけでなく、社会人野球やベンチャー支援にも尽力されていた方でした。

亡くなられたのは、夜の11時13分。
葬儀は近親者のみで行われたとのことですが、シダックス社が主催する「お別れの会」が後日予定されています。

正直なところ、90歳でこれだけ注目される創業者って、そうそういないと思います。

「老舗だけど、進化もしてる」
そんな企業イメージの背景には、志太さんの柔軟さと情熱があったのだと思います。

死因や経歴や学歴!高校生から実業家へ駆け上がった理由

志太勤さんがなぜここまでの実業家になったのか、その原点をたどると「高校時代」にまでさかのぼります。

志太さんは静岡県の韮山高校に通っていた高校3年生のとき、大衆食堂「大炬燵(おおごたつ)」を義兄から譲り受け、なんと自分で切り盛りしていたそうです。
このエピソードだけで、ただ者ではないことがわかりますよね。

高校生で飲食店を経営するなんて、私自身40代でようやく仕事と生活のバランスをつかめてきた今でも、想像がつきません。
しかも、その経験を経て大学へは進学せず、実務の中で経営を学び、成長していったとのこと。
正直、学歴より行動力がモノをいうタイプだったんだろうなと感じます。

その後、1959年に東京・調布市で「富士給食(のちのシダックス)」を立ち上げ、社員食堂の受託運営を始めます。
特に、新宿住友ビル内で初めて“高層ビル内カフェテリア方式”を導入したことは、当時の業界ではかなり革新的だったそうです。

私はこれまでシステム開発の現場で、何度も「変化を嫌う組織」にぶつかってきました。
それを思うと、志太さんがこのカフェテリア方式を導入できたのは、相当な信念と説得力があったんだろうなと感じます。

志太勤さんの学歴と早稲田大学院での学び

志太勤さんは「学歴より行動」と思われがちですが、実は学びに対しても非常に熱心な方だったんです。

出身は静岡県立韮山高校。
この学校は進学校としても知られていますが、志太さんはそこでの学びを足がかりに、独自のキャリアを築き上げました。

高校卒業後すぐに起業の道へ進んだため、大学へは進学しませんでした。
ですが、のちに社会人修士として「早稲田大学大学院 スポーツ科学研究科」に1年間通い、修了されています。


70代に差しかかる年齢で学び直す姿勢って、本当にすごいですよね。

筆者は40代の今、何か新しいことを学ぼうとしても「もう遅いかな…」って思うことがあります。
でも、志太さんのエピソードを知ると、「学びに年齢は関係ない」って素直に思えます。

早稲田大学院では、スポーツや企業経営をテーマに、同じようにプロアスリートや経営者たちと肩を並べて学ばれていたそうです。
この姿勢が、後に中高年向けの起業塾や調理師学校の設立にもつながっていきます。

シダックスとカラオケ事業の挑戦

シダックスといえば「給食の会社」というイメージが強いですが、実は“カラオケ事業”でも知られていました。

私は20代のころ、友人との飲み会のあとに「シダックスのカラオケに行こうよ」ってなることが何度もありました。
他のチェーンよりもちょっと高級感があって、食事メニューも美味しかったのが印象的です。

志太勤さんがこのカラオケ事業に本格参入したのは、給食業界での成功を土台にしてからのこと。
「レストランカラオケ」という新しい形を取り入れ、食とエンタメを融合させた業態を確立しました。

カラオケって、設備や人件費のコストも大きいし、流行の変化も早いので、経営はけっこう難しいんですよね。
その中でシダックスは「安心して過ごせる場所」としてのポジションを築き、特にファミリー層から支持されていました。

また、音響や店舗デザインにも力を入れていたそうで、まるでホテルのような内装の店舗もありました。
こういった細かい配慮が、他社との差別化につながっていたんだと思います。

藍綬褒章と旭日重光章!志太勤さんの受賞歴と社会貢献

志太勤さんは、経営だけでなく「社会にどう貢献するか」という視点を常に持っていた方でした。
その功績が認められ、1993年に藍綬褒章、2006年には旭日重光章を受章されています。

藍綬褒章は、教育や産業の振興、福祉向上に尽くした人に贈られる栄誉です。
志太さんの場合、調理師学校を設立したり、起業支援に力を入れたりと、教育分野にも熱心に取り組んでいました。
実際に「志太学園調理師学校」や「志太起業塾」といった施設を運営し、多くの人に学びの場を提供されていました。

一方の旭日重光章は、国家または公共に対して顕著な功労のある人に贈られる章です。
特に志太さんは、民間主導での給食事業や野球を通じた青少年育成に尽力し、業界全体のイメージを変えていった存在でもありました。

私は以前、公共施設向けのシステム案件で給食センターの業務に関わったことがあります。
そのとき「もっと民間のノウハウを取り入れられたら…」と感じたのを思い出しました。
志太さんは、まさにそういった“官から民へ”の流れを早くから実践されていた方なんですね。

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